[2011] ケイパビリティ・アプローチ。原発を読みとく (溝畑さちえ)

ケイパビリティ・アプローチ。原発を読みとく(1) . . . 溝畑さちえ

2006年の夏頃からサイトを立ち上げる構想を練り、2007年に正式にスタートしました。それ以来なんとなくその傾向に気づき、昨年になってはっきりわかったことが二つあります。1)これまで私が書いてきた日本語のブログではケイパビリティ・アプローチへのアクセス数が群を抜いて高いこと。2)多くの方がケイパビリティ・アプローチについて関心をもたれていることです。

私たちの趣旨は、世界各地から寄り集まってきた人たちが協働できるネット上の共同仕事場(イーラボ・eLaboratories)を建設することでした。以前は紙と鉛筆を使って行われていた経済協力開発機構(OECD)の国際調査が、最近コンピューター化されましたが、それらのツール開発者の一人がうちの夫です。彼の技術と時宜を得たテクノロジーを活かしながら、世界初のイーラボ をつくり、それを使いながら研究調査をするのが当初の目的でした。ですからブログは正直に言いますと、サイトを維持するための「添え物」として綴ってきたのですが。皆さんが私のブログを、しかもケイパビリティ・アプローチについて読んでくださるのを、うれしく思ってきました。それならもっと書いていこうと考えていた矢先に、東京電力の福島第一原発の事故が起こりました。

3月11日以来、原発について知れば知るほど、「経済力だけで計れない社会の貧しさ・豊かさ」や「倫理」「正義」「公平・平等」「協議」「進歩」「持続可能性(sustainability)」や「民主主義が機能しているかどうか」に着目するケイパビリティ・アプローチで日本の諸問題を、私は考えるようになりました。原子力や放射能の専門家でなくても、ケイパビリティの視点から東電の原発事故について読み解けることがたくさんあります。ケイパビリティ・アプローチの基本的な概念・用語と原発事故について現時点で分かっていることを重ねながら、書いていこうと思います。どうぞ皆さんも(本稿の足りない部分を補足するためにも)コメントをお寄せください。

国家の真の豊かさ・国民の幸福度を測る定規をつくるとしたら

国家の豊かさ、国民の幸福度という、とらえにくい現象を計る尺度を決めて、それを数値にあらわし、国別比較で順位づけをして、報告されるようになってから随分たちます。このような調査の始まりは1940年代とされています(McGillivray, 2007)。当初は、国内総生産(GDP)に着目した功利主義 (utilitarian approach of well-being) がさかんで、言うまでもなく、そのような傾向は経済発展にひた走った当時の国々の目線と一致しています。20年ほど前までは、このように富裕度で国民の幸福度を示す国際比較が、主でした。

現在では、「人の幸せにはいろいろな側面があるため、以前のように物財の豊かさの比較だけでは不十分だ。」こうした理解が深まるにつれ、国家の幸福度を様々な観点から計測し、国際比較しようとする試みが増えてきました。最近の世界的不況の影響で、経済規模で富を計ってきた今までのやり方や、現行の体制に、為政者たちも疑問を感じるようになってきたため、とも言えるでしょう。

最近の動きとしては、フランスのサルコジ大統領が、コロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ(Joseph E. Stiglitz—2001年ノーベル経済学賞)、ハーバード大学のアマルティア・セン(Amartya Sen—1998年ノーベル経済学賞受賞)等、ノーベル経済学賞受賞者らを集めて、幸福度測定に関する委員会を設置しました。委員会は2009年末のパリでの会合で、スティグリッツ報告書を提出。「GDPの数字に代わる、国の経済状況、社会の進歩、国民の真の幸福度を適切に示す、より広範な指数が必要である。誤った指標や方向性に基づいて政策をつくれば、その政策自体が間違ってしまう」と、世界の指導者たちにむけて呼びかけました。

その翌年の2010年は、国連開発計画(UNDP)による「国の真の豊かさ」についての人間開発報告書の20周年にあたりました。UNDPは識字率、平均寿命、一人あたりの実質国民所得などをもとにした国別の豊かさの順位を、年次報告しています。この記念周年を機に、これまで把握できなかった側面も含めて、人間開発指数を見直し改良しようとする気運が高まっています。 他にも2010年末には、イギリスが国民の幸福度を高めることを目的とした調査を実施すると発表し、日本でも幸福度調査への取り組みが本格化しています。

2011年5月には、OECDの設立50周年記念行事にあわせて、加盟国(34カ国)の国民の暮らしの幸福度を、雇用や住居、家計、高等教育、健康、生活の満足度などの新たな指標で評価した結果を公表しました。このように世界の機関や研究者たちが、幸福度に関する情報の視野を拡げた、新たな指標作りを進めています。

この国際的な潮流の裏には、国民の「生活の質」や「幸福の度合い」をより正確に把握し、事前に社会不安や危機を予測・回避できるような判断の目安が必要である、との共通認識が出来てきたからともいえるでしょう。

国民の幸福度調査などは、税金の無駄づかいだと感じる人がいるかもしれません。ですが幸福度を「暮らしの安全度・安心度」「国の将来への期待・課題」と置き換え、調査を「モニターする、監視・点検調査する」と置き換えるとどうでしょう。そういった調査は、必要ないでしょうか?

国民一人ひとりが幸せで安全に暮らせることは、倫理的にとても大事であると論じるのが、ケイパビリティ・アプローチです。今回の原発事故の猛省を促し未来へのビジョンを見出そうとすると、私たち日本人にはこのアプローチの視点が必要になってくるように思います。

ケイパビリティ・アプローチとは?

社会の発展進歩、人々の幸福度に関する分析が盛んになり、その最も注目されている代表的な理論がケイパビリティ・アプローチです。このアプローチの草分け的存在は、経済学者のアマルティア・センです。彼に合流して、シカゴ大学の哲学者マーサ・ヌスバァム(Martha Nussbaum)ら700人を超える研究者が様々な論争を展開し、この理論を精緻化してきました。

このアプローチの入門書は、やはりセンのDevelopment as Freedom や最近のThe Idea of Justiceがお薦めです。フェミニストの人は、ヌスバァムのWomen and Human Development: The Capabilities Approachや彼女の最近の本・論文を読むと、迫力ある筆勢にひきつけられることでしょう。このアプローチを包括的にまとめた論文は多数ありますが、私は下記の二編を薦めます。

  1. Sabina Alkire (2005). “Why the Capability Approach?” in Journal of Human Development.
  2. Ingrid Robeyns (2005). “The Capability Approach: A Theoretical Survey.” in Journal of Human Development.

センやヌスバァムの著作や、彼らが生んだアプローチについて、邦訳を読んだだけで理解するのは難しいように思います。日本語に訳されていないケイパビリティの論文は、膨大にあるからです。これはケイパビリティだけに、限りません。端的に書かれた英語が日本語になるとき、翻訳独特の文体が加わって、よけいに読みづらくなることが多々あります。これは、ある言語を別の異質な言語に置き換えて表現するとき、ほぼ避けきれないことだと思います。専門書の場合は、理論をよく理解していない人が字面のまま訳すると、誤訳が混じり意味不明になったりすることもあります。あるいは原著や理論を知悉した人が、うまく適訳できるとも限りません。

とすると理想的なのは、自分で原著を読んで理解することです。センやヌスバァムが選らぶ言葉、その発光するような美しさ、語彙の豊かさ、饒舌さ。ヌスバァムの凛とした気魄にひるんだり、センのユーモアのオチに失笑したり、篤実さにふれたり、彼らの慧眼にうなったり、いろめきたつような昂揚感を味わったりするのは、原著を読む楽しみの一つだと思います。この小論文はケイパビリティ・アプローチを原著で読み始めていく、手がかりにしてください。本稿は、ケイパビリティ・アプローチ(おもにセン中心)だけに注目しますので、センやヌスバァムの理論をもっと知りたい方は、それぞれ経済学と哲学研究者の方々の専門書を読んでいただきたい。

英語が苦手な人は、最近、センの門下生たちが彼の厚生経済論を解説(補足・発展)してますので、それらを英英辞典で意味を確認しながら読むのをお薦めします。いちいち大きな辞書を開いて単語を調べるのは大変なので、インターネット上のオックスフォードなどの辞書が便利です。2・3の論文を精読すると、基本的な用語や論旨が浮かび上がってきます。このアプローチを一般の教養書として読む方は、ケイパビリティにこだわって身の回りのこと、日本社会を眺めてみてください。豊かさの定義を変えると日本の「貧しさ」や今までとは違う「豊かさ」が、見えてくるかもしれません。

このアプローチの基点となるコンセプトは、well-beingです。well-beingを邦訳すると、福利、安寧、幸福、幸せといえるでしょうか。直訳してみると、well は <いい>、being <・・・である(状態・性質)>。二つの単語を合わせてwell-beingになると、<いい(状態・性質)である>になります。関西人の私たちにとっては、関西弁の <ええ調子>という言葉がしっくりきます。

well-beingとは、ひとり一人の暮らし向きを判定するのに使う観念であり、人それぞれの生活の状況描写ともいえます(McGillivray, 2007, p.3参照)。文脈によっては、well-beingという言葉は、ふくらみを含んで、いくつかの言葉になります。(社会や国家の)豊かさ、国民生活の豊かさ、福祉、生活の質の向上、人間らしい暮らしともいえるでしょう。国連の経済学者Mark McGillivrayが述べているように、同じような状態をあらわす言葉としては、幸せ、よい暮らし、暮らしの質の高さ、質の高い生活水準、人間開発、社会福祉、人生の満足度、ニーズの充足、エンパワーメント、ケイパビリティの拡大などがあります(McGillivray, 2007, p.3参照)。これらの様々な言葉があらわすように、well-beingには、はっきり「これです」といえる統一した見解はありません。ですから客観的基準を設けにくく、計りにくいものです。

厳密にいえば、センはwell-beingとクオリティ・オブ・ライフ(暮らしの質の高さ)を峻別しています(Qizilbash, 1998, p.53参照)。前者を <幸せな状態> とすると、後者は、<その幸せな状態を実際に形にする能力> <幸福を実現する能力>、関西弁をまじえて言うと<実質的にええ調子を形にする能力> と定義していて、前者と後者の概念をはっきり分けています。

ですが本稿では、ケイパビリティ・アプローチを理解するために、上の言葉を同義として扱うことにします。先に述べたように、well-beingの邦訳には様々な類語があげられ、それらを定義すると意味が少しずつ違ってきます。語句を変えて論じていきますが、特に注記しないかぎり、基本の概念はhuman well-beingであることを、覚えていていただきたい。

 

引用文献

Dublin Core
作者: 
Sachie Mizohata
Date creation: 
14/05/2011
主题: 
ケイパビリティ・アプローチ。原発を読みとく(1)
语言: 
Japanese

ケイパビリティ・アプローチ。原発を読みとく(2) . . . 溝畑さちえ

ケイパビリティ・アプローチの定義
ここであらためて、ケイパビリティ・アプローチを定義しておきましょう。このアプローチは個人のwell-beingやケイパビリティなどを見ながら、人々の暮らし向きや社会のありさまを評価分析するための理論です。また社会のしくみの弊害をさぐりあて、不平等や不正義などを批判するのに有効な規範倫理としても活用されています。さらに、国民の幸福度を高めることを目的とした政策立案を導出する、理論的枠組みとしても使われる多目的なアプローチです(Alkire, 2005; Robeyns, 2005; Alkire, 2008, p.30; Comim, 2008)。

補足しますと、このアプローチにもとづいて特定の現象を分析するとき、たとえば貧困や不平等や幸福など(の要素)をおおむねこういうものだと説明することもありますが。このアプローチは、どちらかというとそういった事象を筋道を立てて説明する理論というよりは、貧困や生活の質など個々の現象の本質的な特徴や共通点をとらえ(概念化し)、説明できるように手引きする規範理論です(Robeyns, 2005)。貧しい国だけでなく、経済的に豊かな国の分析にも用いられます。この理論の思想的な源泉は、アリストテレス、アダム・スミス、イマヌエル・カント、カール・マルクス、ジョン・スチュアート・ミル、ジョン・ヒックスだとされています(Sen, 2005; Nussbaum, 2006)。

ケイパビリティ・アプローチの始まり
アプローチの内容に入る前に、まずアマルティア・センについて少し触れたいと思います。

センは社会的選択の理論と厚生経済学╱福祉の経済学の世界的な権威で、開発経済学やジェンダー研究でも良く知られています。よくセンが著書など(Development as Freedom 8ページ。Identity and Violence170ページ。インターネット上で読める下の自叙伝)で何度も触れている彼の子供時代の体験について紹介しましょう。

http://nobelprize.org/nobel_prizes/economics/laureates/1998/sen-autobio.html

センの父親が大学の教員だった影響で(彼自身も学者として)センは生涯の大半を、大学のキャンパスで過ごしています。彼がおそらく10・11歳の頃(文献によっては、9歳とも記されてます)。ダッカ市にある(現在のバングラデシュ)家の庭で遊んでいた時、背中を刃物で刺された男性が庭に駆け込み、セン少年はあわてて両親を呼び、男性にあげる水を取りに行きます。その後、男性は病院で亡くなっています。ヒンズー教徒とイスラム教徒の抗争が激化していた時期に、その男性は命を危険にさらしてまでも、なけなしの日銭を稼ぎに、異教徒地区に出かけなければならなかった。それくらい彼の家族は貧しく、家には食べ物もないくらい不如意だった。圧倒的な経済的不自由さ。そして、その不自由さの報いが死であったことに、セン少年は衝撃を受けます。

大人になったセンは、それまで学究の圏外に置かれてきた飢饉の研究を行っています。彼はベンガル大飢饉前の都市経済は高度成長期で、前年よりも安定した食物供給があり、飢饉は食糧不足というよりは、社会経済的な原因が大きかったと論じています。つまり食品価格の高騰・品薄状態でのパニックによる買いだめなどにより、それまでの価格で食品が手に入らなくなったこと、(家計への負担が増加し、実質賃金が低下したこと)、失業、食品流通や配分方法を規制する構造が不十分で不平等であったこと。そのため農村部の農業労働者など社会的弱者グループが、飢餓に苦しむことになったこと。当時、インドはイギリス領下の従属国で、大飢饉のさなかでさえも、弱者の声を聞くような民主主義が成立していなかったこと。マスメディアがこの惨事を、ほとんど報道しなかったこと。多くの死者を出した大飢饉は防ごうと思えば防げた悲劇であったこと。つまり未曾有の人道危機は、天災というよりは人災、政治災害の影響が大きかったとセンは解析しています。

(後で触れますが、日本政府が都市部の利益を優先して、過疎地域を無視してきたこと。エネルギー政策をめぐり国民的議論がなされなかったこと。原発事故が起こり放射能漏れが各地に拡大したこと。報道の(自主)規制など、日本と二重写しになるところがたくさんあります。)このようなセンのバックグランドを、了解しておいてください。

さて、ケイパビリティ・アプローチの始まりに戻りましょう。事の始まりは、アマルティア・センが開発途上国の経済について研究するための国連大学の研究・教育機関であるthe World Institute for Development Economics Research (WIDER、本部はヘルシンキ)に赴任していた1980年代半ばのことです(Richardson, 2000)。

開発施策をめぐり、どのような国際政策をとるべきか、何の平等性を指標にした発展をめざすべきか等、経済学者らのあいだで検討されました。その時のセンが提示した考えは、Equality of What?(何の平等性か?)というタナー・レクチャーに残されています。
http://culturability.fondazioneunipolis.org/wp-content/blogs.dir/1/files_mf/1270288635equalityofwhat.pdf

功利主義がなおも支配的な中で、センは「国の経済成長はもちろん重要であるが、財や収入の多さで社会の豊かさ、発展度、暮らしの質の高さは測定できないし、国民が幸福であるとも限らない」 「人の幸福こそが、かけがいのない最大の目的で、経済発展や効率性、資産や富はその単なる手段にすぎない。だが現実には、この目的と手段が往々にして逆に誤解されている」とけれん味なく経済合理主義を批判しています。では国際開発でどのような基本理念や尺度や指標が大事か。つまり何の平等実現に向けた取り組みが必要か、という問いへのセンの答えは、「〇〇〇できる。〇〇〇である」という自由や能力の平等性、ケイパビリティの平等性(the equality of basic capabilities)でした。国際的な討論の場で、センはケイパビリティという概念と倫理論を前面に押し出すことに、成功します。それまで支配的だった経済成長重視から人間を中心におく開発へと、転換するきっかけになりました。

センのケイパビリティ理論が、「世界で最も住みやすい国」の順位づけで知られる「人間開発報告書」の哲学的な基盤になったことは、皆さんもご存知でしょう。UNDPの「人間開発報告書」創刊20周年を記念して、2010年ケンブリッジで開かれたワークショップで、この報告書にまつわる逸話が紹介されました。1990-1995年までの人間開発報告書の執筆責任者は、センのケンブリッジ大学時代からの学友で、生涯の友でもあったマブーブル・ハック(Mahbub ul Haq1934年〜1998年。パキスタン人の経済学者)でした。ハック氏は数字で示すには限界があるが、GDPのように一目瞭然で分かりやすく、それと同じくらい下品な(!)な国の発展度合いを示す目安をつくる必要があると、あまり気の進まなかったセンを説得し、国民生活の豊かさを示す指数を開発したということでした。その後、この指数はさまざまな批判(例1.指数の代表性、妥当性など。指標が大雑把すぎる。例2.何の権限があって国連が国の順位付けをするのかなど)を受けるわけですが。その作成には、経済成長率だけでは国民の暮らしの質の高さは実現できないことを啓発するという、政治的意図があった訳です。

過去20年の間にケイパビリティ・アプローチは台頭し、幅広い世代に広く支持されるようになりました。多くの国々が、生活の質を論じるアマルティア・センのアプローチに注目しています。イェール大学の哲学者トーマス・ポッグ(Thomas Pogge)によると、その理由には、皮肉にも開発援助や貧困削減に失敗し、富の偏在と貧困化が世界的に進んだことが背景にあるとしています(2002)。表現を変えれば、「いくら経済大国だからといばっていても、その国の社会的弱者をほおってしまってるのは、ダメじゃないか。これだけ経済的に豊かになった国がある一方で、世界にはいまだに多くの人たちが絶対的貧困に生き、飢えに苦しんでいるのはおかしいじゃないか」という正義の視座が重要になってきた。だから、国民一人ひとりが、世界の一人ひとりが幸せで安全に暮らせるという倫理や規範に主眼を置くケイパビリティ・アプローチが、注目されるようになったのだと、私は思います。センにとっては経済学が、他の分野のケイパビリティ研究者にとっては本人の専門が、「倫理の(側面を含んだ)科学」になるゆえんが、そこにあります。

日本でも東日本大震災の後、人々の価値観やメンタリティーも変わり、このようなアプローチがますます注目されてくると思います。

 

引用文献