日本人の歴史的健忘症

私の好きな田辺聖子さんが「楽天少女通ります」(角川春樹事務所、2001年)中で、戦争を次のように回想している。

「・・・楽観的な父が、〈この裏まで焼けたんやから、もうここらは空襲来まへんやろ〉というのへ、そうでんな、とはかない空だのみしか、すがるものはなかった。父は更に、〈偉いサンもそないアホばっかりやおまへんやろ、そのうち、なんぞええ条件で仲直りの手打ちにもっていくのん、ちゃいますか〉

・・・(中略)・・・。母は男たちの話を陰で嗤う。

〈仲直りいうもんは、勝ってるほうがいうもんや。初めに勝ってるときにいうたらよかったのに〉

そしてまた、

〈偉いサンは無責任や。アカンとなったらすぐ投げ出してホカの人に押しつける。若いもんいっぱい死なして〉

母が批判するのは、首相がこの時期、めまぐるしく交代したことだろう。近衛、東条、小磯、鈴木。リアリストの母は結局、お偉方も父の楽観主義も信じていず、衣類そのほかを荷造りしてせっせと岡山へ疎開していた」 (89〜91ページ)。

「すでに盟邦ドイツは降伏しているのに、鈴木貫太郎首相は一億玉砕を唱えていた。その暗示はどれだけの人に効いたろう」 (94ページ)。

2012年4月11日、毎日新聞の布施広記者が次のように書いている。

「丸山真男は、終戦の翌年、『これだけの大戦争』を起こしながら日本には『我こそ戦争を起こしたという意識』が見当たらないと指摘した。『何となく何者かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入したというこの驚くべき事態は何を意味するのか』・・・大御所を引き合いに出すのは恐れ多いが、この分析は原発をめぐる日本の状況にも当てはまるように思う。『安全神話』の下で地震国に原発を造り続け、『これだけの大事故を』起こしながら責任の所在が明確でない。しかも事故の翌年、自明のように政府が再稼動へ動くのも『ずるずる』感が否めないからだ」

責任の所在をはっきりさせないという日本の特徴は、終戦の時からどうやら変わっていないようだ。

原子力ムラ主導の原子力行政で、原発継続をしようとする現在とも変わっていない。

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