ケイパビリティ・アプローチ。原発を読みとく(2) . . . 溝畑さちえ

ケイパビリティ・アプローチの定義
ここであらためて、ケイパビリティ・アプローチを定義しておきましょう。このアプローチは個人のwell-beingやケイパビリティなどを見ながら、人々の暮らし向きや社会のありさまを評価分析するための理論です。また社会のしくみの弊害をさぐりあて、不平等や不正義などを批判するのに有効な規範倫理としても活用されています。さらに、国民の幸福度を高めることを目的とした政策立案を導出する、理論的枠組みとしても使われる多目的なアプローチです(Alkire, 2005; Robeyns, 2005; Alkire, 2008, p.30; Comim, 2008)。

補足しますと、このアプローチにもとづいて特定の現象を分析するとき、たとえば貧困や不平等や幸福など(の要素)をおおむねこういうものだと説明することもありますが。このアプローチは、どちらかというとそういった事象を筋道を立てて説明する理論というよりは、貧困や生活の質など個々の現象の本質的な特徴や共通点をとらえ(概念化し)、説明できるように手引きする規範理論です(Robeyns, 2005)。貧しい国だけでなく、経済的に豊かな国の分析にも用いられます。この理論の思想的な源泉は、アリストテレス、アダム・スミス、イマヌエル・カント、カール・マルクス、ジョン・スチュアート・ミル、ジョン・ヒックスだとされています(Sen, 2005; Nussbaum, 2006)。

ケイパビリティ・アプローチの始まり
アプローチの内容に入る前に、まずアマルティア・センについて少し触れたいと思います。

センは社会的選択の理論と厚生経済学╱福祉の経済学の世界的な権威で、開発経済学やジェンダー研究でも良く知られています。よくセンが著書など(Development as Freedom 8ページ。Identity and Violence170ページ。インターネット上で読める下の自叙伝)で何度も触れている彼の子供時代の体験について紹介しましょう。

http://nobelprize.org/nobel_prizes/economics/laureates/1998/sen-autobio.html

センの父親が大学の教員だった影響で(彼自身も学者として)センは生涯の大半を、大学のキャンパスで過ごしています。彼がおそらく10・11歳の頃(文献によっては、9歳とも記されてます)。ダッカ市にある(現在のバングラデシュ)家の庭で遊んでいた時、背中を刃物で刺された男性が庭に駆け込み、セン少年はあわてて両親を呼び、男性にあげる水を取りに行きます。その後、男性は病院で亡くなっています。ヒンズー教徒とイスラム教徒の抗争が激化していた時期に、その男性は命を危険にさらしてまでも、なけなしの日銭を稼ぎに、異教徒地区に出かけなければならなかった。それくらい彼の家族は貧しく、家には食べ物もないくらい不如意だった。圧倒的な経済的不自由さ。そして、その不自由さの報いが死であったことに、セン少年は衝撃を受けます。

大人になったセンは、それまで学究の圏外に置かれてきた飢饉の研究を行っています。彼はベンガル大飢饉前の都市経済は高度成長期で、前年よりも安定した食物供給があり、飢饉は食糧不足というよりは、社会経済的な原因が大きかったと論じています。つまり食品価格の高騰・品薄状態でのパニックによる買いだめなどにより、それまでの価格で食品が手に入らなくなったこと、(家計への負担が増加し、実質賃金が低下したこと)、失業、食品流通や配分方法を規制する構造が不十分で不平等であったこと。そのため農村部の農業労働者など社会的弱者グループが、飢餓に苦しむことになったこと。当時、インドはイギリス領下の従属国で、大飢饉のさなかでさえも、弱者の声を聞くような民主主義が成立していなかったこと。マスメディアがこの惨事を、ほとんど報道しなかったこと。多くの死者を出した大飢饉は防ごうと思えば防げた悲劇であったこと。つまり未曾有の人道危機は、天災というよりは人災、政治災害の影響が大きかったとセンは解析しています。

(後で触れますが、日本政府が都市部の利益を優先して、過疎地域を無視してきたこと。エネルギー政策をめぐり国民的議論がなされなかったこと。原発事故が起こり放射能漏れが各地に拡大したこと。報道の(自主)規制など、日本と二重写しになるところがたくさんあります。)このようなセンのバックグランドを、了解しておいてください。

さて、ケイパビリティ・アプローチの始まりに戻りましょう。事の始まりは、アマルティア・センが開発途上国の経済について研究するための国連大学の研究・教育機関であるthe World Institute for Development Economics Research (WIDER、本部はヘルシンキ)に赴任していた1980年代半ばのことです(Richardson, 2000)。

開発施策をめぐり、どのような国際政策をとるべきか、何の平等性を指標にした発展をめざすべきか等、経済学者らのあいだで検討されました。その時のセンが提示した考えは、Equality of What?(何の平等性か?)というタナー・レクチャーに残されています。
http://culturability.fondazioneunipolis.org/wp-content/blogs.dir/1/files_mf/1270288635equalityofwhat.pdf

功利主義がなおも支配的な中で、センは「国の経済成長はもちろん重要であるが、財や収入の多さで社会の豊かさ、発展度、暮らしの質の高さは測定できないし、国民が幸福であるとも限らない」 「人の幸福こそが、かけがいのない最大の目的で、経済発展や効率性、資産や富はその単なる手段にすぎない。だが現実には、この目的と手段が往々にして逆に誤解されている」とけれん味なく経済合理主義を批判しています。では国際開発でどのような基本理念や尺度や指標が大事か。つまり何の平等実現に向けた取り組みが必要か、という問いへのセンの答えは、「〇〇〇できる。〇〇〇である」という自由や能力の平等性、ケイパビリティの平等性(the equality of basic capabilities)でした。国際的な討論の場で、センはケイパビリティという概念と倫理論を前面に押し出すことに、成功します。それまで支配的だった経済成長重視から人間を中心におく開発へと、転換するきっかけになりました。

センのケイパビリティ理論が、「世界で最も住みやすい国」の順位づけで知られる「人間開発報告書」の哲学的な基盤になったことは、皆さんもご存知でしょう。UNDPの「人間開発報告書」創刊20周年を記念して、2010年ケンブリッジで開かれたワークショップで、この報告書にまつわる逸話が紹介されました。1990-1995年までの人間開発報告書の執筆責任者は、センのケンブリッジ大学時代からの学友で、生涯の友でもあったマブーブル・ハック(Mahbub ul Haq1934年〜1998年。パキスタン人の経済学者)でした。ハック氏は数字で示すには限界があるが、GDPのように一目瞭然で分かりやすく、それと同じくらい下品な(!)な国の発展度合いを示す目安をつくる必要があると、あまり気の進まなかったセンを説得し、国民生活の豊かさを示す指数を開発したということでした。その後、この指数はさまざまな批判(例1.指数の代表性、妥当性など。指標が大雑把すぎる。例2.何の権限があって国連が国の順位付けをするのかなど)を受けるわけですが。その作成には、経済成長率だけでは国民の暮らしの質の高さは実現できないことを啓発するという、政治的意図があった訳です。

過去20年の間にケイパビリティ・アプローチは台頭し、幅広い世代に広く支持されるようになりました。多くの国々が、生活の質を論じるアマルティア・センのアプローチに注目しています。イェール大学の哲学者トーマス・ポッグ(Thomas Pogge)によると、その理由には、皮肉にも開発援助や貧困削減に失敗し、富の偏在と貧困化が世界的に進んだことが背景にあるとしています(2002)。表現を変えれば、「いくら経済大国だからといばっていても、その国の社会的弱者をほおってしまってるのは、ダメじゃないか。これだけ経済的に豊かになった国がある一方で、世界にはいまだに多くの人たちが絶対的貧困に生き、飢えに苦しんでいるのはおかしいじゃないか」という正義の視座が重要になってきた。だから、国民一人ひとりが、世界の一人ひとりが幸せで安全に暮らせるという倫理や規範に主眼を置くケイパビリティ・アプローチが、注目されるようになったのだと、私は思います。センにとっては経済学が、他の分野のケイパビリティ研究者にとっては本人の専門が、「倫理の(側面を含んだ)科学」になるゆえんが、そこにあります。

日本でも東日本大震災の後、人々の価値観やメンタリティーも変わり、このようなアプローチがますます注目されてくると思います。

 

引用文献

    Alkire, S. (2005). Why the Capability Approach?. Journal of Human Development, 6(1), 115-133.

    Alkire, S. (2008). The Capability Approach to the Quality of Life. Background report prepared for the Commission on the Measurement of Economic Performance and Social Progress (p. 22). Paris.

    Comim, F. (2008). Measuring Capabilities. In F. Comim, M. Qizilbash, & S. Alkire (Eds.), The capability approach: Concepts, Measures and Applications (1st ed., pp. 157-200). Cambridge University Press.

    Nussbaum, M. C. (2000). Women and Human Development: The capabilities approach (First edit., p. 334). Cambridge: Cambridge University Press.

    Pogge, T. W. (2002). Can the Capability Approach be Justified? Philosophical Topics, 30(2), 167-228.

    Richardson, H. S. (2000). Some limitations of Nussbaumʼs Capabilities. Quinnipiac Law Review, 19, 309-332.

    Robeyns, I. (2005). The Capability Approach: a Theoretical Survey. Journal of Human Development, 6(1), 93-114.

    Sen, A. K. (1980). Equality of What? In A. K. Sen (1982) (Ed.), Choice, Welfare and Measurement. Cambridge: Harvard University Press.

    Sen, A. K. (1999). Development as Freedom. Oxford: Oxford University Press.

    Sen, A. K. (2005). Human Rights and Capabilities. Journal of Human Development, 6(2), 151-166.

    Sen, A. K. (2007). Identity and Violence: The Illusion of Destiny. Penguin.

    Sen, A. K. (2009). The Idea of Justice. Belknap Press.

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