選挙 と 日本会議 と 主権を制約しようとする「自虐」の日本人!?

先月。パリのジュンク堂に10日後に届くはずだった本が、棚にあった。よろこび勇んで菅野元さんの「日本会議の研究」をゲットし、あわせて集英社のKotobaも読んだ。人にすすめられ「そおーかなァ」と半信半疑で読んでたら、なんと読めば読むほどオモシロい。日本会議に、はまってしまった。最近、肩ががちがちにこっているのは、そのせいだろうか。日本会議をとりまく問題はパンドラの箱というか、昔話にでてくるお化けというか。開けてもあけても魑魅魍魎がでてきて、おもしろい。

すこし最近の雑感とぼやきを。

日本の選挙投票日は、なぜかこちらのお祝いの日と重なる。今回は、欧州のサッカー最強国を決める決勝日だった。その前の選挙は、友人カップルの新居でお茶をする予定が、あまりの選挙結果に落ち込み私だけ家に引きこもった。その前は、忘れもしないベルギーの建国記念日。友人宅でバーベキュー・パーティーという楽しいはずの7月21日。「家が一番」と満足げな友人や子どもたちがプールサイドで踊りたわむれ、水しぶきを太陽光が反射していた。それを眺める友人たちはフラゴリーノ(苺のお酒)をたのしみ。まわりは幸福に息づまるような快晴の夏日で、私は暗澹たる気分で日本を心配していた。その落差ったら、ないッ。

一水会の鈴木邦男氏が日本会議の中心人物たちのことを、「優秀な人たち」と評価していた。www.videonews.com/marugeki-talk 山崎雅弘氏の「日本会議」の本の帯には「独創的な思想も組織的実力も持たない少数者たちが、私たちの眼に触れぬままに、気づけば現実の政治を動かしているという事実・・・」という内田樹氏の眼識。その目立たなさが保護色となり日本会議は広がってきたのだろうか。彼らのすごさはやはり、地味に働いてきた組織力なのではないだろうか。

日本の野党や左派は負け続けているのだから、みずからの長所や弱点・リソースをしっかり分析し長期戦術をたて、組織的にこつこつと努力するのが大事なのでしょう。そうじゃないと、また負けるよ。

ルクセンブルグは、ポルトガルやフランスからの移住者が多い。サッカーで欧州王者となった試合から一夜。近所のポルトガル店の入り口で「おめでとうございます」とあいさつしたら、店内からいっせいに(店主さんもお客さんも)「オブリガード(ありがとう!)」という大合唱。各家の窓には、ホスト国であるルクセンブルグ大公国の旗と、生国の旗が二旗掲げられている。それが目にもほほえましい。

サッカーで敗者となったオランダは、ファンたちが心理的に国境線をすこし南に伸ばして、ベルギーチームを応援した。ホテルが試合日満室のリール(仏)では、自国チームを応援する「ベルギー人を(養子に)もらって」という一晩泊めてもらうためのTwitterハッシュタグができたという。。

アイデンティティは柔軟に変わっていく。日本人であることが、アジア人であることとは矛盾しない。日本人であり、中国人の友人や同僚がいることも矛盾しない。日本人であることとコスモポリタンであることとも矛盾しない。グローバリゼーションの世界で、アイデンティティが日本人だけでいる方がおかしい。

日本会議の前身の名前が示すように、「日本を守ろう」という人たちが最初に集まったのだと想像できる。右派・左派に関わらず、それが多くの人たちの願いだろう。日本の「伝統」を守りたいと。でも伝統も美風も社会的産物なのですから、人権や男女平等のない1930年代の大日本帝国に戻そうなんて、あまりにも現実離れしてませんかね?

国を守るなら、何よりもまずなぜ戦後レジームの属国状態をなんとかしないのか?属国心理を内面化したFalse consciousness 虚偽意識でしょうか。

政府を批判すると「反日」とか「在日」とか、日本会議やそれにつながる在特会の一部の人たちがレッテルをつけるようだが。それはチョムスキー先生もおっしゃるように、全体主義の概念であることを知って省察してほしい。

日本会議があまりメディアに注目されてこなかった理由として菅野氏は、彼らの関心は女・子どもの問題だと軽視・蔑視されてきたからだと述べられている。まぁ、そういうこともありましょうが。いずれの団体や人に関わらず、性別とか国籍とか年齢とか外見とか、差別をネタに声高に叫ぶ人たちには、弱いものいじめの狡猾な卑怯さがあるのだと感じる。女性をあまく見たら、いかんぜ。

稲田朋美とかいう政治家が「国民の生活が大事なんて政治はですね、私は間違ってると思います」と言う。元法務大臣も「国民主権、基本的人権、平和主義をなくさなければ本当の自主憲法とは言えない」と言う。聞き間違いか!?「日本語がわからなくなった」とあせり、ビデオを繰りかえし見た。何をかいわんや。さっぱりわからへん。わかるのは、自分たちが「国民」の上位にいるという彼らの意識と、それに対する私の嫌悪感だ。

18歳選挙権の適用で、投票先が自民党に多いというのもやや不思議な気がしたが。政治家といい若い世代といい、批判的なリテラシーがない人たちは「洗脳」されやすいのだろうか。海外のジャーナリストにしてみれば、日本人が自分たちの権利を抑えようとする政党になぜわざわざ投票するのか、それこそ「自虐」にはしる日本人がわからないようだ。(今ちやほやされてる権力者だって、選挙におちたらタダのおっさん。宗主国・アメリカが愛想をつかし失脚すれば、タダの独裁者)

今の日本には「貧困」という罠もある。奨学金を返済できない大学生や生活に困る人が増えるほど、彼らが若いほど、権力者には都合がいいことはない。なぜなら、お金の返済に一生エネルギーを費やし、時局の心配どころではなくなるから。彼らが無関心でいつづけるのだから。そのためにできあがった貧困統治システム、無関心を維持するためのイメージ広告。若者たちは権力者たちの作為に気づくべきだ。

たとえばスロベニアの大学の学費は無料なんですよ。しかもスロベニア人の友人なんか、北方領土のこととか琉球の歴史とか、詳し~いんですよね。そんなことも習うらしい。日本ではスロベニアについて学校教育うけてます?

さらに残念なのは、石田純一氏の所属事務所『11日の会見をもちまして、今後一切、政治に関する発言はできなくなりました』との発表。ピノチェトやチャウチェスクをひきあいにだして思いだすくらいの現政権下での人々の不自由さを感じる。そんな「不自由な」国が、「豊かな」はずはない。

日本会議に属する政治家たちは、民主主義国家の基準を定義できるのだろうか?

民主主義の下での「自由」には「結果の自由」もあれば、それに到達するまでの「プロセスの自由」もある。途中で気が変わって予定変更する「自由」だってある。密約とか秘密交渉とか、夜中に機材を運びこむダマシ討ちとか。あげくの果ては緊急事態条項って、「プロセスの自由」はどうなってんですか!選挙前は強力にメディアに圧力をかけ経済の話をして、数を得たら秘密保護法や戦争法を通し、憲法改正もやるって、市民の両方の「自由」を無視する後進国だ。

天皇陛下の生前退位に関しては ⎯⎯⎯⎯⎯⎯。

陛下自身がご存知だろうが、たとえばベルギーのような例もある。「1990年妊娠中絶法案が議会を通過した際、議会はボードゥアン1世に法案への署名を求めたが、ボードゥアン1世は敬虔なカトリック教徒であり、また王妃ファビオラとの間に子供が授からなかったことから法案への署名を拒否していた。しかし署名を拒否すれば立憲君主制の原則を揺るがすことになるため、内閣はボードゥアンと協議を行った。」その結果ボードゥアンは、一時的に退位したわけです。ボードゥアン1世 (ベルギー王) ウイキィペディアより。

ところで最後に。ウイキィペディアの「日本」のところで、英語では日本の公用語はNoneと書かれている。公用語がない国って、なに?

ブログの写真。ルドルフ(友人の4歳児)がくれた彼の大好きなパン。かじった跡がある。⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 木曜夜の9時に携帯電話がなった。近所の友人が牛乳を買い忘れ息子がおやすみ前のミルクがないとパニックっているらしい。夫が飲みかけのパックを持っていくと、ミルクを横取りしてよほど気の毒に悪いと思ったのか、このパンをくれた。あの夜のミルクはルドルフにとって、とても高価なものだったのだろう。

Comments

Post new comment

  • Web page addresses and e-mail addresses turn into links automatically.
  • Allowed HTML tags: <a> <em> <strong> <cite> <code> <ul> <ol> <li> <dl> <dt> <dd>
  • Lines and paragraphs break automatically.

More information about formatting options

CAPTCHA
This question is for testing whether you are a human visitor and to prevent automated spam submissions.
Image CAPTCHA
Enter the characters shown in the image.